1975年、イタリアのプラト(フィレンツェ)のシコグニニ高校でバカロレアを取得した時、彼はすでにアートを好み、デッサンに夢中であった。

 アフガニスタンへの長旅行の後、二年にわたりフィレンツェ大学で哲学を学んだ。  それと同時に美術アカデミーの芸術的解剖学の講習のモデルとして働いた。

 大学では、どちらかというと古美術品修復の講座を好んだ。彼の家族が経営している骨董品アトリエで彼自身、修復作業を行っていたからだ。就中、木の金装飾はそのアトリエで技術を学んだ。

 また、彫刻家であったアッシジの叔父の家に滞在し、木彫刻の手ほどきを受けた。

 インド、モロッコ、エジプト、オーストラリアやタイを旅行し、四年間滞在した。その間、観光ガイドやエスコートなどの仕事もした。

1992年、チュニジアのハマメットにあるパラダイス・ガーデン・ホテルの催物会場やモール・カフェの装飾を行った。

 その後、ミラノに住み、いくつもの美術ギャラリー(特に、ダビッド・カグリアニのABCミラノでは1997年から2000年まで作品を展示)、美術骨董品店、美術装飾、修復アトリエとコラボ関係で仕事をした。

 その時代には、多種の木工美術オブジェ、装飾額、装飾板、家具を製作した。また殆どがモノクロームであったがイラストレーションを多く描いた。

2002年、フランスのブロワに住み着く前、ベルギーのセント・ジール(ブリュッセル)の« Parcours d’ Artistes(芸術家たちの道筋) »に参加した。

2006年、2007年、2009年、2010年には、フランス、モリヌフの« Promenade Artistique (芸術・プロムナード)»に参加。

2007年、2010年に、ラ・ペリエールの芸術マルシェ、パリ3区のギャラリー・レ・チュイリエに大きな作品(グランド・フォーマット)を展示。

2010年以来、パリのバスティーユのクリエーション・マルシェの展示画家として、名を連ねている。